会社に勤め始めたとき、先輩から「5年くらい電気屋をしていて特許をとるくらいのアイデアが浮かばなければ、
一人前の職人にはなれないぞ」と言われ現場管理者から職人まで色々アイデアを出し合っていました。
今の時代のような未来工業もなく、ネグロス電工はまだレパートリーも少なく、
アイデア商品を近所の鉄工所に頼んだりして工事を進めていました。
アウトレットボックスの仕込みなどは職人技と言うよりも手品師の様な技術でした。
図面もT定規と三角定規紙、紙も硫酸紙、国の竣工図は烏口でトレース、建物は墨汁、設備図は朱で書くのです。
ドラフターが普及するにはもう少し時間がかかりました。今はCADで書きますからもう見ることはないでしょうね。
当時はほとんど鉛筆書きでしたから、図面が直ぐに黒ずんで、青焼き、白焼きコピーに汚れが出てしまいます。
そこで黒ずまないように定規の下に紙テープでポッチン出っ張りを作って接触部分を小さくして書いたときもありました。
電気工事の発展途上国から最新技術国まで見ちゃいました。