文化の同時発生を思う

         

            <一般家庭の”TV”アンテナ支線の施工方法>

 電気工事を始めた頃は、大工さんの家庭配線工事が在ってその中でアンテナ工事では苦労させられました。
 この地区では電波状況が余りよくなく、サテライト局が何か所か在りました。
 ある住宅を建て直しする時、それまではしっかり受信できていたのに、新築後は何処にアンテナをつけても
 ゴーストが消えませんでした。最終的には住宅から離れた庭の隅にポールを立てて取り付けたのが最良の
 所でした。
 アンテナ絡みでの話で恐縮ですが、かなり大きな台風が静岡を襲った後に、私が請けた住宅を見回ったところ
 3か所ほどアンテナの方向がずれていました。その当時県外に行く要件が多くあり神奈川、東京、愛知、大阪等
 行く場所のアンテナの施工方法を写真を撮りながら調べていました。
 殆どが静岡のやり方と変わりがありませんでした。そこでひと工夫する事を思い付きアンテナ支線の中間から
 補助支線を屋根馬の足元に繋ぎました。これで足元の不安定が解消することが出来たのです。支州
 の支値
 さて、是を真似てくれる人が何時ごろ出てくれるかなと期待していたところ、一年弱で見つけました。
 私の行動範囲も広いわけではないが、それ以後急に同じ方法をする人が出てきました。
 この地域では私独自の思い付きと思っているが、電気屋以外で同じことを考えた人がいるかもしれない。
 畑の柵のエンド補強工事にとか,小屋の補強工事に使ったとか、使用目的は違っても必要性を感じて普及した
 所があれば教えてください。”アイデアは何処でも同時に起きる”が私の信条です。もう30余年前のことですが。





サイトの管理人のブログ A-1

  会社に勤め始めたとき、先輩から「5年くらい電気屋をしていて特許をとるくらいのアイデアが浮かばなければ、
 一人前の職人にはなれないぞ」と言われ現場管理者から職人まで色々アイデアを出し合っていました。
 今の時代のような未来工業もなく、ネグロス電工はまだレパートリーも少なく、
 アイデア商品を近所の鉄工所に頼んだりして工事を進めていました。
 アウトレットボックスの仕込みなどは職人技と言うよりも手品師の様な技術でした。
 図面もT定規と三角定規紙、紙も硫酸紙、国の竣工図は烏口でトレース、建物は墨汁、設備図は朱で書くのです。
 ドラフターが普及するにはもう少し時間がかかりました。今はCADで書きますからもう見ることはないでしょうね。
 当時はほとんど鉛筆書きでしたから、図面が直ぐに黒ずんで、青焼き、白焼きコピーに汚れが出てしまいます。
 そこで黒ずまないように定規の下に紙テープでポッチン出っ張りを作って接触部分を小さくして書いたときもありました。
 電気工事の発展途上国から最新技術国まで見ちゃいました。